突撃!さあや☆の夕食日記

日々の生活と節約と手抜きの夕食を紹介する ブログです。 気軽にコメントくださいね♪
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エピソード1

11月10日、月曜日の日記です。
長文です。申し訳ありません。

午後からエレクトーンレッスンの日です。
間が空いたので油断して、全然練習できなかったのでここ3日くらいちゃんと練習しましたよ。

テレビのHD残量とも戦いなので、ちょっと録画を見て。
母が入院中で、昨日頑張ってお料理を作ったので(覚えているかな?大根の煮物とアジの南蛮漬けね)それを実家に持って行ってあげよう!と、お昼前に行くつもりだったのですが、荷物が届くことになってるんですよね~。
待ってたら
「(指定の)お昼までに届けられそうにありません」との連絡。佐○め~。
実家に行ってからエレクトーンのレッスンに行かなくてはいけないので、とりあえず実家に行ってくるのでその後に持って来てくださいと「もうちょっと早く連絡してくれたらよかったんですけどね~」とちくちく嫌味を言って、慌てて実家に行きました。

途中、実家の車が近所の地区公民館にとまっていたので父はそこにいるんだな~。って思いながら行ったのを覚えています。
実家には弟だけのはず。
が、車はあるのに呼んでも全然返事がありません。
夜の仕事なので、だいたいいつも昼前まで寝ています。

でも12時になっても起きないので、離れの2階の部屋まで起こしに行きました。
ドアの前で呼んでも返事がないので、中に入ったら、
弟は、ベッドに寝ていましたが明らかに様子が違いました。

駆け寄って名前を呼んでも返事はもちろん、呼吸もなければ、脈もありません。
顔は眠っているようなのに。
もう訳がわかりません。
入院して大変なのは母なのに、どうしてここでこんなことが!?
もう、夢でも見ているようでした。
「どうしよう!どうしよう!!」と叫びながら、すぐ横で充電してあるiPhoneを手に取ってみるけど(さあやも一応iPhoneをタブレット代わりに使っていますがロック画面に)動揺して電話がかけられません。
駆け下りて家の電話から119番に連絡しました。

半泣きですが、ちゃんと伝えられましたよ。
ちなみに、父はばーさん(世の中で言うところの祖母)が意識不明で見つかり、母に119番するように言われて
「119番は何番か!?」と母に聞いた人です。
その父の妹であるイヤミな叔母さんは姑が同じ状況になった時、
「119番はどうやってしたらよかったかいね!?」と嫁(←さあや親友)に聞き、あっちへ行っとけと言われたあげく、「救急隊の邪魔だから、そこから動くな」と叱られた人です。
こういう失敗談も聞いていて損はありません。
そうならないためにも自分はしっかりしようと思うものです。

心肺蘇生するように指示されて、2階へ戻り、心肺蘇生法を試みますが、もう20回だか30回だか訳が分かりません。
パニックです。
そのうちに救急隊が来ましたが、何しろさあや実家は広くてここは離れ。
目の前の道路を通過していく救急隊…
一人のつらさが身に沁みます。
サイレンを聞いて出てきた向かいのおばちゃんに「おばちゃん!!こっちに誘導して!!!!」って窓から怒鳴りました。
このおばちゃんとは、その後3日、会えませんでした。
なんとタイミングの悪いことに里帰り出産のお嬢さんの陣痛が始まり、病院へ行ってしまったのです。
イヤよね~さあやの悲痛な叫びを聞いた後にお嬢さんの出産なんてねぇ…。生まれるものも生まれんわ…。
ホント、ごめんねおばちゃんと○○ちゃん。。。

救急車も遅れて到着し、病院へ行くところで、父に電話をしました。
「さあや弟が心臓も止まってる、意識も呼吸もない状態で今から救急車で病院へ行くからすぐに帰ってきて」と。
さあや父、
「・・・今、集会の途中だから帰れん」 ←予想できるお返事

人の話を聞け~!!!!!

絶対に話を聞いてません。
「・・・(深呼吸) あのね、大変です。救急車来ています。さあや弟が心臓も呼吸も止まって動いてません。すぐに帰って!!」
「・・・はい、わかりました」
というわけで、救急車が出るころに父帰ってきました。(家から見えるところにいたのに)
一人残ってくださいと言うので、さあやだけが救急車で病院へ行きました。
妹にメールをしました。
もう、祈るばかりです。
助からないとわかっているのだけど、どうにか助かってほしいという思いと、どうしてこんなことになってしまったのか…頭の中はパニックでした。
病院へ着いて、すぐに救急に入っていきました。

どれくらいそこにいたかよく覚えていませんが、しばらくして先生から「手は尽くしましたが…」という説明をされました。
覚悟はできていたと思います。
看護士さんから連絡する人がいたら連絡してください、外でなく中で連絡してねと言われました。
よく倒れる人がいるらしいです。
そこの病院勤務の看護士の友達も声をかけに来てくれました。

ダンナさまに連絡して。
それから、弟の職場、さあやのエレクトーンの先生と職場と…。
ママ友に電話して子どもを預かってもらうように頼んで、学校にも二人で帰らせるように頼んで。

母にどうやって言おう・・・←入院中。
けど、さあや妹に連絡がつかないので、仕方なく母に連絡しました。
わかっていただけると嬉しいけど、これが一番つらかった。
電話に
「はいは~い」とのんきに出た母。←夫婦そろって…
手術も終わって、回復に向かっているある日の昼下がり。。。わからなくないけど。
言葉を失いました。。。
一通り涙ながらに伝えて、ベトナムにいる妹の連絡先を教えてくれというと
「知らない」・・・そうだ。。。
たしかに、さあやも知らないから責められないけど、親だというのにどうして知らないんだ~!!!
その後、ダンナさまから電話があって、仲のいいさあやいとこ(←かなり年上)に助けを求めたから助けてもらうようにって言われました。
余計なことを、って思ったけど、これが後になってどれほど助かったことか。

しばらくして、弟の会社の人が来て、警察の人と話をしました。

さあやは一通り連絡して、手足の力も入らずぐったりで歩けない状態だったのに、
携帯に国際電話からの着信が入った途端、立ち上がって
「もしもし!!もしもし!!!」←別人
妹からでした。
たぶん、母が入院中だからメールも気にかけてくれていたんだと思う。
(電波が悪いので)スタスタと歩いて外に出て←別人
事情を話しました。とにかく国際電話、切れてしまったらおしまいだと思い…。←いつの時代の人?
妹もすぐに帰国の手配をすると言って電話を切りました。

弟の会社の人との話も終わり、警察からは司法解剖になると言われました。
その頃、散々の呼び出しにやっと父が病院へ来ました。 ←何をしていたの~?
その後のことはよく覚えていません。
病院を出たのは3時前でした。

その前に、電話がかかって助けを求められたさあやいとこがさあや実家に到着したと電話してきて
「迎えに行こうか?とりあえず、みんなはここに置いていくから」
結局、さあや父と帰ったのだけど、
帰り道、ふと気になった。

・・・みんなって誰???

さあや実家に帰ると、いとこの他、母の兄弟である伯父さん、叔母さん(ご高齢)が勢ぞろいしていました。
で、すごい勢いでさあや実家(注:めちゃくちゃ汚い)を片付けて帰っていきました。
本当に助かりました。
父はすぐに母の病院へ行って、明日以降のことを話し合って・・・いるうちに寝ていたそうですが…(-_-;)。
意外と、こういう時しっかりできるのが母なんだよね。。。
もう、父は問題外。

新幹線に飛び乗ったダンナさまは午後7時前には新山口に到着し、さあや妹も今晩の飛行機のチケットが取れて明日には帰ってこれる。
実家に帰ったら、聞けば母が万が一のためにと置いて行った葬儀屋の連絡先と書類がそろっており…。
明後日は子どもたちの音楽会ですが、司法解剖のため、弟は明日以降でないと帰れないので通夜等は明後日の夜以降・・・。
学校にも行ける、音楽会に出れる。。。
掃除もできる。。。
できすぎたこの状況に弟はすべて考えて逝ってしまったのだと思わずにいられませんでした。
これは運命なんだと。

とにかく争い事が嫌いで、周りのこと気にかけてくれる弟でした。
だから、交通事故とか争いが起きるようなことを避けて、眠るように逝ってしまったんだと。

この日、さあやは生まれて初めて(そうなの!?)不眠症体験をしました。
眠れぬ夜で、早く朝になってくれたらいいなんて思ったのは初めてです。
眠れないって、本当につらいんですね。

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